「天中殺」の記事一覧

志村けんさん死去
志村けんさんは仕事だけではなく、この世を去るときまでも、自分の宿命通りに生きられました。
心から「お疲れ様でした」という言葉をお送りしたいと思います。
運気の活用
例えば、今年龍高星が廻っていると、海外の人とかモノに縁ができたり、離れたところに興味がわいたりするし、孤独も感じたりしますが、これは心の問題であって、同じ年に生まれたからといっても、みんな同じにはならないわけですし、さらに天中殺が入ってくると、運気はさらに複雑になってきます。
願いをかけるコツ
よく新年に、若い子が「今年は○○ということを神様にお願いしたんです」と言いますが、私は「いいですね〜。で、そのためにあなたは何を始めるの?」と聞きます。
意地悪な質問でもなんでもないのです。
それがわかっていなくて、何かを手に入れることの方が怖いのです。

神社とのつきあい方
神様は、皆さんの願いを聞いてくれるほど暇ではないし、実際にたくさんの人の話を聞いていると「神の助け」が入ったとしか思えないことも多々あるのですが、それらは共通して「一生懸命頑張っている」ときです。
「神様に頼んだから大丈夫」なんてことは、ないということです。
問題のある家庭の共通項
長年こういう仕事をしておりますと、こういう共通項に気づいてくるのですが、問題のある家庭は、他人の家庭と比較することはないし、ましてや親の育て方の問題になどしたくないわけですから、自分なりの根拠のない理屈のせいにしてしまいます。
人間は環境の動物ですから、環境を変えれば変わります。
サンタがやってきた!
それは、やがてパパやママの嘘だと誰もがわかるのですが、みんなパパやママを「嘘つき!」と非難することなく、自分が大人になって自分の子供ができたら、今度は自分が嘘つきになってしまっているわけです。
そうなのです。
クリスマスは、世界中が嘘つきになってもいい日なのです。

子はかすがい
そういう親は、子供との縁が出てこないので、「親でもないし、子でもない」という状態になりますから、普通では起きない問題が起きてくるわけです。
親の縁は、確実に子供にまで影響するということです。
そういえば今年は八白土星年
こういう結婚の場合は、親と子の縁が、宿命の中に出てこない場合が多いのです。
つまり、親でもないし、子でもなく、「誰、こいつ?」という無意識な感情になるのです。
その結婚に、その他の条件が重なった時に悲劇が起きるのです。

大師匠が残してくれたもの
大師匠は、ご自身では何も取り柄のなかったと仰る私の師匠に、人の道と生きる世界を教えてくれました。そして、師匠も今、あの時の大師匠の気持ちが理解できたそうです。
学べるだけ学んでください。
人生なんて、神の瞬き1回の間、あっという間です。

手相と足の相②
このような栄養状態だとホルモンバランスが狂うのは当たり前ですから、将来、不妊や流産が多くなります。
手相と足の相①
文章という伝達手段の中では図を用いることができないので、足の相を説明することが困難ですが、これだけは覚えておいていただきたいことをお伝えします。
運気を語る前に
思うに、「運気の流れ」に依存する前に、まずは次のことを自問する必要があるようです。
心を変える
自分の心が変わると、周りも変わる、そして自分の運気も変わっていくのです。
占いとは
世の中で成功者は3%と言われます。
謙虚になろう
向上心を失うことは、人間らしさを放棄するのと一緒です。
人生を変えられない人は
人生を変えられない人や同じ失敗を繰り返す人は、本人は気づいていませんが共通点があります。
才能ではないのです
いいことも悪い事も、すべて終わったことにはとらわれず、明るい明日を信じて生きることが大切です。
なぜ、私は…?
この世に偶然などなく、必然が結果を生んでいるだけですから、必ず状況に対しての理由が存在します。
金運アップはどうすればいい?③最終回
たとえば子供のときの親子のあり方が間違っていると、適齢期になった時に、本来巡り会うべき人(=自分を幸せにしてくれる人)に巡り会うことができず、むしろ自分に不幸をもたらす人に巡り会ってしまうことになります。
やってしまった後では。。
気学は長期的な計画の上に方針を定めるものであって、今思いついたから転居したい、また出店したいといってなかなか出来るものではありません。
金運アップはどうすればいい?②
これも湿度が高いため、脈(=心臓の鼓動)が早くなることを何か胸騒ぎがするように感じたのです。
お彼岸
先祖に感謝の意を表すことは、大切なことです。普段は忙しくて、なかなかそんな余裕はないと思いますが、このような、先祖を供養するための日があるので、このときばかりは、しっかりと供養をする姿勢を見せることが重要です。
金運アップはどうすればいい?①
考えてほしいのは、お金に左右されていることが多いということです。